感情論

今日は珍しく、自分の意見を書く。

思いとか感情の面で色々と苦労することがある。自分自身の感情を制御することは並大抵のことではない。
もちろん、あるがままの自分を表現しつづけたいとは思う。
しかしある一定の部分で、制御をかけておかなければ、必ず自分自身に破綻をきたす。
上手く制御をかけることはクールであるし、本質を見失いにくいとは考えている。

俺はずっと「他人から良く見られたい。有能な人間に見られたい」という欲に縛られてきた。
それは、自分自身の能力の向上にも役に立ったし、常に意欲的である方向性に自分自身を置くことができる、非常に良い欲であると考えてきた。
しかし、この欲望は状況が破綻したときに、自分自身に対して何も出来ないことを思い知らされたことがあった。
それ以降、俺はきわめてピュアな精神状態を保てるように努力している。
それが周囲の評価を落とそうが、そんな事俺が知ったことじゃない。
「人の5倍努力する」事は、もちろん俺の人生で基本的なことであるが、そのこと自体を他の人にアピールすることは不要であり、自分の中で悩みや自戒があっても、誰かがそれを認めてくれると言うことは期待しないようにしている。

自分自身を表現することは、必ず自戒の中にあり、それを開放できるのはごく限られた表現方法の中にしかない。

単純に「不器用」であるとも思う。
でも、自分自身を「囚われ」の精神状態に置くことは危険だし、誰も望んでいない事だと思うので、そのようにしている。

まぁ、青臭い上に負け話でしかないんだが。

日頃、いろんな事を説明している割には、自分自身のことを主観的にも客観的にも説明できないものだなぁ、と思った。
自分自身のことは、自分でも一番わからないし説明も出来ないや。